自由帳

日々の断片集。

【映画予告からの考察】『青いパパイヤの香り』

青いパパイヤの香り

 

ベトナム映画です。監督は『ノルウェーの森』を実写化したトラン・アン・ユン。

 

大学の授業で「予告を見て感想書け」っていう課題が出て書いた感想。というより考察。映画は全部見たことないです。

 

https://youtu.be/VWeRBrfYMhM

 

〇ムイとパパイヤ

 他の人も言っているように、私も ムイが大人になる姿をパパイヤが熟す様子をメタファーにして表現 していると思った。

 ムイの服装の色に注目するとそれがよく分かる。ムイの服装は1冒 頭のシーンで10歳のムイは灰色の服、最後のシーンで20歳にな ったムイは黄色の服を着ている。これは、 パパイヤに身がついてから熟すまでの色の変化と類似している。 パパイヤは、身がついたころ(子ども)は青い色をしているが、 熟す(大人)と黄色になる食べ物である。このころから、 ムイの成長とパパイヤの身の成長を重ね合わせていることが分かる 。(途中、 赤色の服を着ているムイが映し出されるがそれについては後述する 。)

 しかし、予告映像に熟れたパパイヤは出てこない。 むしろ最後は青い、幼いパパイヤが映し出されて予告が終わる。 これはどういうことなのだろうか。何かの暗示なのか、 映画を観ないと分からないのかもしれない。

 

〇ムイとアリ

 予告の途中で二回、ムイと蟻の様子が映し出される。 調べてみるとベトナムでの生活はアリとの戦いらしい。しかし、 ここでは戦い(追い払う、殺すような行為)は行われず、 アリはムイの影のように映し出されているように思う。

 一回目は10歳のムイとアリが映し出される。 アリは何かを運んでおり、 雇い主に食事を持っていく10歳のムイと重ね合わることができる 。二回目は、20歳になったムイが予告の中で初めて映し出される シーンである。 一回目の考察からアリがムイを表していると考えると、 何も運んでいないアリの様子から、20歳のムイは( 実際はどうか分からないが) 下働きをしていないことを想像することができる。

 以上のことから、 アリはムイの影のような存在として映し出されていると思った。

 

〇赤い服

 予告では、 灰色と黄色の服のほかに赤色の服を着たムイが映し出される。 先にムイの成長はパパイヤの成長をメタファーとして表現されてい ると述べたが、パパイヤは赤色にはならない。 ではこの赤い服は何を表しているのか。

 赤と言えばベトナムの国旗である。 赤地の背景の中心に黄色い星で、「金星紅旗」と呼ばれている。 赤は社会主義国に共通の色で、革命で流された地を表し、黄色は「 労働者・農民・兵士・青年・知識人」を意味している。 5つ意味があるのは、五芒(星野の先端部のこと)の、5本の光に 由来している。

 このことから「赤い服」について考えてみると、 赤色の服は血か社会主義国を意味していることになる。また、 国旗に黄色があることから、 ムイの黄色の服にはパパイヤとは別の意味―労働者・農民・兵士・ 青年・知識人―が含まれているのでは、 と思わずにはいられなくなる。

この物語の時代設定は1951年である。1951年はベトナムが フランスから独立しておよそ二年後の世界で、この15年後にはベ トナム戦争が開始される。また、 ホーチミン率いるインドシナ共産党ベトナム労働党に改称した年 でもある。ここから、 赤い服について考察すると先に述べた国旗の色の意味と共通する部 分が多くある。赤い服は、 フランスから独立して社会主義を取り戻した1951年のベトナム とこれらから起きるベトナム戦争を暗に示しているのではないだろ うか。また、 黄色の服についても国旗の意味から予告を見てみると、上の5つの 意味に関するものが映像に映し出されている。

 予告の終盤で、何かを学んでいる20歳のムイのシーンが映し出さ れる。またその隣には青年が座っている。ここから、5つの意味の うち「知識人」と「青年」の意味があることが見て取れる。「 労働者」は10歳のムイや0:43で左側の傘のような帽子をかぶ った人、一番奥で何かを運んでいる人から把握することができる。 残りの2つは映像には移されてないが、これらの分析から、 黄色はムイの成熟だけを意味する色ではなく五芒(ごぼう) を意味する色でもあると考察することができる。

したがって、 赤色の服は社会主義国を取り戻したベトナムとこれから起きるベト ナム戦争を意味しており、黄色の服は、 成熟したムイを表すとともに五芒を想起させる働きがあるのではな いかと考える。

 

〇最後に

 パパイヤやベトナム戦争、 国旗などいろいろなことを調べながら上記を書いたのですが、 正直ここまで書くつもりありませんでした。調べつつ、 映像を見て、考えていると、次から次へと疑問が広がり、 そのたびに調べ、また映像を見て考える。 この無限ループに入ってしまい、 感想ではなくレポートのように長くなりました。 知識を持って映像を見ると、知識と映像が繋がって、 映し出されるもの全てに意味があることがわかります。 なにげない風景も人や物も、 映画に映し出されるものに意味がないものなんてないんだと、 今回の感想を書きながら思いました。また、 予告を制作する人は膨大な知識を得てから、 予告を制作しているんだろうなと思いました。 短い映像の裏側では制作者の時間と労力の上で作り上げられている んだと思い感嘆しました。

 上記以外にも気になるシーンがいくつかありましたが( 母親と作者とパパイヤについても気になりました。)、 キリがないのでここで終わろうと思います。 機会があったら映画を観てみようと思います。

 

感想じゃなくて、もはやレポート。

他の授業ほったらかして、これに半日費やした。

 

私は一つのことに夢中になると、なかなか抜け出させないらしい。

 

 

 

創味しゃんたん